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読書感想文 〜本選びで失敗している生徒

小学生の夏期講習では読書感想文の授業をしています。 何度も何度もアドバイスして書き直しています。 講師が代わりに書くようになってしまわないように、 あくまでも生徒が自分で書いたものを元に、 表現を直したり、読み手が理解できない部分を指摘したり、 他に書くべきことや、その例を与える授業です。 基本的に本は何でも良い。 どんな本でも良い感想文は書ける。 どんな本でも書けるようになってほしい。 そう思って教えていますが、 明らかに本選びに失敗している生徒がいました。 初めて本を他のものにするように言いました。 これを読んでくださっているいる小学生・中学生や お父さん・お母さん(のお子さん)も、 同じ間違いをしているかもしれません。 野球が好きで、野球をしている子が、 野球選手の本で感想文を書こうとしていたのです。 それだけはダメ! 絶対にダメ! サッカーやっている子がサッカーについて書いてもだめ。 野球(サッカー)が好きなんですよね。 1日の半分以上野球(サッカー)のこと考えているんですよね。 感想文というのは、本を読んで 自分の経験と結びつけて書くのが基本です。 「僕も同じ経験をした。」 「同じ考えだ。」 「僕ならできない。」 と書くわけです。 江川卓はたった1本のホームランで引退した、僕なら引退しない。 ジータは決して器用ではなかったがこんなに努力した。僕にはできない。 桑田真澄は挫折して立ち直った、僕も野球で挫折したらそうしたい。 松井秀喜はどれだけ活躍しても謙虚だった。僕も活躍しても謙虚でいたい。 メッシはチームプレイを大切にした。僕もチームプレイを大切にしたい。 になってしまいます。 野球の本で学んだことを自分の野球と比べる。 難しいですよね。書きづらいですよね。 薄っぺらいですよね。 桃太郎はすばらしいチームワークで、鬼と戦った。 僕はサッカーをしているが、僕たちにはそれだけのチームワークがあるだろうか。 その方が書きやすいですよね。 エジソンが電球を発明するまでに、 何度も何度も実験で失敗したと周りは思ったが、 彼はそれを失敗ではなく成功だと言った。 うまくいかないことが分かったから成功だと言った。 私が野球でした・・・という経験も失敗

私は待ったことがない

井上陽水さんが明菜に提供した「飾りじゃないのよ涙は」 当時人気絶頂のアイドルの歌とは思えないほど深いい歌詞は、 中学生だった私にはほとんど理解できなかった記憶があります。 その最初の歌詞「私は泣いたことがない」 今日私が書きたいのはそんなことではありません。 その後リリースされた陽水のセルフカバーは 素晴らしかったのですが、そんなことを言いたいわけでもありません。 「・・・を待つ」とか、「・・・に待たされた」 というのは、「待っている人」が何もしていなから「待たされた」 と思うのであって、バスが来るまで「待つ」のではなく、 音楽を楽しんだり、人間ウォッチングをしていたら 「待った」とは思わないのです。 学校に早く着いたとき、、、 塾に早く着いたとき、、、 授業中、他の友達が前で問題を解いている時、、、 先生がプリントを配っている時、、、 家で夕飯ができるまで、、、 特に受験生は、「待つ」以外のことができるようになってほしい。